5121小隊スペシャルインタビュー ■もどる
「狙いをつける」知らなかった3月シーズン後半こそ順調に撃墜数を稼いでいるかのように見えたが、彼には既にそれ以前の段階から「狙いをつけていないのではないか?」という問題点が 関連者から指摘されていた。彼と共に戦った経験のあるT氏は氏名を公表しない、という条件で取材に応じてくれた。 「うーん、まあ彼はね、早いんですよ、行動が。敵の真中にバーッと行ったかとなぜ狙いをつけなかったのですか、との我々の質問に、彼はこう答えてくれた。 早すぎた挫折「・・・やはり自分の力、というか直球で勝負したいものですし。それに早いターンでの決着を望んでいた気持ちが勝っていたのかもしれませんね。・・・やっぱり"これがプロの戦場なんだ"って恐怖がどこかにあったのかもしれない」はにかみながら語る速水さん。結果としてその後の撃墜数は伸び悩み、一回あたりの戦闘に対する撃墜数もいわゆる「エース」の最低条件である10.00を下回る事が多くなった。 さらに戦場外でも事実上の交際宣言をしていた森精華さん(年齢非公開)が原因不明の事故で命を落とすなど、入隊して僅か1ヶ月の彼にとってはあまりにも過酷な事件が相次いだ。 その後、彼は自らの意思でパイロットの座を降りることとなる。 整備員に転職「整備員になったのは、自分の意思で、です。(注1)色々ありましたが・・・。 まあ次の機会があれば今回とはまた違った形で隊をバックアップしていきたいですね」「次の機会とは何ですか」と聞いた私に、次ですよ。と入隊当時の笑顔で彼は答えて くれた。向こうでは早めに仕事を切り上げた整備員達が帰り支度をする姿が見える。 「機体調整の仕事がまだ残っているので」と作業中の顔に戻った彼は手短に挨拶を済ませ、その中に紛れていった。
毎年「未来のエース」と称され入隊する学徒達。だがそこから本当のエースになるには想像を絶する試練が待っている。自分の能力を見極め、信頼できる上司に恵まれ、さらには戦闘技術を磨く事。「プロの戦場」に対して素直に語ってくれた速水氏の栄光と挫折を追う事で、我々が戦争に対して忘れかけたなにかが多少理解できたような、そんな思いにさせられた。(了) ◆速水厚志(はやみ・あつし) 本名速水厚志。1984年(昭和59年)7月11日、福岡県久留米市生まれ。99年、5121小隊に入隊し3号機パイロットを担当。のち、1号機整備士に転任となる。
↓ 速水ファンの皆さんごめんなさい。石投げないで下さい。 文:ミスタ |