2003/09/27 (Sat)
□ガンダムSeed #50 最終話として何より致命的だったのは、ラクス主義(「想いだけでも力だけでも駄目なのです」)の顛末に触れずに話を終わらせてしまった事。
今回単品では良い出来でした。シャトル狙撃→防御→2撃目→幽霊のくだりは心震えましたよ。作画も全編素晴らしかったし。が、ストーリー的に、第1話から49話までを受けての最終話としてはどうなんだろうか。
最終話を見ると「結局Seedって話は『戦争に翻弄された男女(キラ&フレイ)の出会いと死』を描く事がテーマだったんだなあ」とか思ってしまいますが、戦争に翻弄されて云々って話はニコルとトールの惨死がクライマックスで、それを受けてストーリーは漸く、ガンダムSEEDのメインテーマ「では、この状況を変えるにはどうするか」を描くラクス編に至ったんじゃなかったんでしょーか。34話(アラスカ)〜前話までの、憎しみが憎しみを呼び兵の末端に至るまで憎悪に包まれた状況に対して、ラクスに何も語らせず関わらせずに話だけを終わらせてしまった作劇を見ると、やっぱり「ガンダムの焼き直し」以上の事は考えて無かったのか…と思えてしまい残念です。
ていうか、ここまで引っ張った挙句の落ちが「扇動者が皆死んだので休戦」ていうのはどうかと…。アスラン突入時の敵兵は殺る気満々だったじゃん、って続編があるとしたら話は別ですけどね(Zガンダムの焼き直し以上の物にはならないでしょうが)
□ファースト世代からのガンダムSEED擁護論 商売の事を考えなくても良い「最終話」には通用しない言説だと思いますが、再掲しておきます。
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